モヤイの話 1
以前、友人から蒲田駅前のモヤイ像の写真を貰ったのですが、ふと別の方から、「新島が蒲田に送ったモヤイは二体あったはずだぞ?」という情報が。それというのも、あげるときはモヤイは男女セットであげるものなんだそうな。
どういうことかな?
というわけで、調べてみました。
もともとモヤイは一番有名なのは勿論渋谷の駅前のやつ。そのほか新島村は昭和50年代、いくつか全国に寄贈したというのであります。(渋谷と蒲田、あと竹芝まではWIKIでも確認できるのですが…他にどこに送りつけたのだろう…)蒲田には昭和59年に寄贈されたものだそうです。
一応モヤイ像の復習。新島と、イタリア・シシリー島ににしかないといわれる「抗火石(コーガイシ)」という世界的にもたいへん珍しい石が火山系の石が産出されるのです。この石は空気が多く入っている為に軽くて、いいものは水に浮くんだそうな(現在はそのくらい質がいいものは産出されないらしく、管理人は水に浮く石は未見。難しく言うと、『原石である黒曜石が超高温10000℃以上で熱せられ、急激に冷えたため中の成分がガス化し、空砲状になった多孔質天然セラミック』、なんだそうだ。学術名は、石英粗面岩。
この石が柔らかいので、彫刻刀程度のもので結構簡単に形をいじることができます。とうわけで、イースター島の「モアイ」をヒントにした像が多く新島にあるのです。んでもって、新島の言葉でもやうというと、「力を合わせる」とか「助け合う」「共同作業をする」という意味になります。横文字で言えばボランティアにも通じるのじゃ。
・・・さて、そのモヤイ、新島から送られたのですが、一体どうなったのでしょうか・・・。明日に続きます。
これが、蒲田のモヤイです。東口駅前広場に鎮座ましましているそうです。
旅にはいつも“想い出”が残る。新しい風景や見知らぬ人に会いたくて旅に出る。しかしそこで待っているのは“自分自身の内側”にほかならないことを発見する。新島のモヤイ像は心の片すみに放ってある“透明な旅の日々”と同じなのではないでしょうか。
身をひるがえして牙をむく自然を相手に私たちの祖先は、流人ともども漁に農に力を合わせてその生を生きた。流人もその要請によくこたえたという。古くから新島では「共同して仕事に当る」ことを「モヤイ」と呼ぶ。
私たちにとって「モヤイ」とはそういう歴史とロマンを秘めた言葉である。いま大田区蒲田東口商店街と新島本村の友好の絆を記念し、私たちの島が誇る「モヤイのこころ」を本島特産の「コーガ石」に刻む。
モヤイ合う力がそれぞれの地の平和と繁栄の担い手になることを約して母であり師である東京都のこの地に贈る。
ここに集う人々よ、ものいわぬモヤイの像は、あなた方に何を語りかけるであろうか。
願わくば私たちと共にその、遙かなる祖先の声をきかれることを。
昭和五十九年六月二十四日
贈 東京都新島本村
東京都新島観光協会
戦後四十年にならんとする今日、わが蒲田東口商店街も近隣の発展に伴い大田区の顔としての再開発、再整備が叫ばれて居ります。
この大目標達成に不可欠なものは地主、地権者をはじめ地元全住民の協力即ち「モヤイ合う力」である。
ここに新島本村及新島観光協会の御好意と、大田区当局のご理解により新しい街造りに対する地元住民の心のシンボルとして当地にモヤイ像を設置した次第である。
蒲田駅東口商店街商業協同組合 理事長 某 ・・・かな。抜けていたらすいません。
「旅にはいつも“想い出”が残る。新しい風景や見知らぬ人に会いたくて旅に出る。しかしそこで待っているのは“自分自身の内側”にほかならないことを発見する。」
・・・浪漫だなあ。
その2に続きます。